Friday, June 08, 2007

ああ神様、神様なんていないのね

9 時起床。珈琲だけの朝食。午前中は講義の予習。 昼食は蕎麦を茹でて、薬味でもり蕎麦。

昨夜、「神は妄想である」(R.ドーキンス/垂水雄二訳/早川書房)、読了。 大変に面白かった。アメリカとイスラム圏では焚書されかねないが。 この本が広く読まれれば、世界はずっとずっと良いものになるだろう。 昨日、帰りの電車の中で、 この本の最後のあたりを読んでいて、つい吹き出してしまい、 隣に座っていた人に変な目で見られてしまった。 「神」がどうしたとか言う題名の本を読んでいれば、なおさらだろう。 その箇所が以下の長い引用 (実際、吹き出したのは「それはとっても危ないわ!」のところ)。 ジュリア・スウィーニーと言う喜劇女優の「神様にさよなら」 と言う舞台の大詰めのあたりらしい。

……裏庭にある事務所から家に入ろうと歩いていると、私の頭のなかで、 ちっちゃなささやく声がしているのに気づいたの。 いつからその音がしていたのか、はっきりわからないけれど、 突然それが一デシベルくらい大きくなったのよ。 それは「神様なんていないのよ」とささやいたの。
私はそれを無視しようとしたわ。でも、そうしたら、ちっちゃな声がいっそう大きくなった。
「神様はいない。神様はいない。ああ神様、神様なんていないのよ」……
そこで私は身震いした。筏から滑り落ちていくような気がしたわ。
それから私は考えた。 「私にはできない。神を信じないことができるかどうかわからない。 私には神が必要なの。だって、世の中には歴史ってものがあるでしょ」……
「でも、私にはどうすれば神を信じないでいられるのか、 そのやり方がわからない。どうすればそんなことができるのか、 私にはわからない。どんなふうにして朝、目を覚まし、 一日をどう過ごしたらいいの?」 もうこのあたりでは気が動転してきて……。
それで考えたのよ。 「オーケー、落ち着きましょう。ちょっとのあいだ、 ほんの一秒だけ、神を信じないという眼鏡をかけてみることにしましょう。 神を信じない眼鏡をかけて、ちょっとあたりを見わたすだけで、 すぐにはずしましょう」。 そして、私はその眼鏡をかけて、あたりを見わたしたの。
ちょっと言うのがきまり悪いんだけど、最初は眩暈がしたわ。 実際にはこんなふうに思った。
「さあ、地球がどうして空に浮いていられるの? 私たちは宇宙を猛スピードで駆けぬけようとしているってこと? それはとっても危ないわ!」 私は走りだして、地球が宇宙から落っこちる前にこの手で捕まえたいと思った。
それから私は思い出したの。 「そうだわ、重力と角運動量が、私たちが太陽のまわりを、 多分長い、長いあいだずっと、旋回しつづけるようにしているんだったっけ」。

今夜は、年齢不相応にも「焼き肉食べ放題」に参加してきますので、 更新は遅くなるか、ひょっとしたらスキップします。